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京都御苑 ― 歴代天皇が居住した「京都御所」、侍たちの戦の跡残る「蛤御門の変」の舞台を訪ねよう

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蛤御門:著者撮影

今からおよそ150年前、1864年7月19日、時は幕末。今でこそ緑豊かな芝生が広がり、木々の変化で四季を感じることができる京都御苑(きょうとぎょえん)ですが、この地で壮絶な戦いが繰り広げられました。有名な「蛤御門(はまぐりごもん)の変」です。

 

京都御所:かつての天皇の住まい、政治の中心

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著者撮影

京都御苑は、現在は国民公園となっており、敷地内は砂利道が延々と続きます。足を取られ少々疲れやすいので、スニーカーなど歩きやすい靴で行きましょう。奥に見えるのが、京都御苑内にある「京都御所」です。

京都御所は、1331年から東京に遷都するまでの約540年間、天皇の住まいであり政治の中心でした。春と秋の一般公開か、事前に宮内庁に参観予約をすることで入ることができます。

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建礼門:著者撮影

京都御所には六つの門があり、周りは高い塀で囲われています。こちらは建札門で、以前は天皇のみ通ることができた門であり、現在は国賓級の方のみが通られる、最も格式の高い門です。

 

清水谷家の椋の木:長州藩士討死の地

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著者撮影

建礼門をあとにし、京都御所の塀に沿って西へ進むと大きな木が見えてきます。これは、「清水谷家の椋(むく)」と言われ、このあたりが清水谷家の屋敷であったことからそう呼ばれています。1864年の蛤御門の変の時、長州藩士の来島又兵衛(きじままたべえ)がこの付近で討死したと伝えられている場所です。

※蛤御門の変:京都を追われた長州藩が、政局の中心に返り咲こうと挙兵、上洛。その時、京都御所を警備する会津藩、薩摩藩ら幕府軍と激突するが、長州藩は大敗に終わる。

 

激戦の跡が生々しく刻まれ残る「蛤御門」

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蛤御門:著者撮影

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著者撮影

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著者撮影

来島又兵衛が討死した清水谷家の椋の木の近くに立つ蛤御門。京都御苑には九つの門がありますが、この蛤御門見学を絶対に欠かしてはいけない理由は、当時の戦の生々しい傷跡を現代でも目で見ることができる場所だからです。門の梁や柱に、鉄砲の弾傷がはっきりと残っています。

 

1853年にペリー率いる黒船が来航し、それまで鎖国体制だった日本国内は、「開国」か「攘夷」かで意見が真っ二つに分かれ、争い、歴史的に見ても大きな変革期の時代となりました。今回、緑豊かな京都御苑公園の裏にある当時の戦の生々しさを実際に見たことで、様々な思いを巡らさずにはいられませんでした。

<京都御苑>
京都府上京区京都御苑3番地、地図
問い合わせ:環境省京都御苑管理事務所(TEL 075-211-6348、FAX 075-255-6433)

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