日本の夏を演出する「日本三大うちわ」の違いと特徴
団扇は、現代のように扇風機やエアコンがなかった時代、暑い夏に涼をとるため使われてきた、日本の夏の必需品だ。その形は、扇の部分と、それを支え風をあおぐために手で握る部分・柄がついたものが一般的である。
団扇の歴史
団扇の歴史はとても古く、遡ると古代エジプトの壁画や古代中国の書物にもその存在が記されている。団扇が日本に渡来したのは、西暦4世紀頃から8世紀の初頭、日本の歴史上では古墳時代と呼ばれる時代である。それは中国の翳(さしば)というもので、団扇の柄を伸ばしたような形をしていたものであった。それが10世紀頃になると、小型の翳を団扇と呼ぶようになり、それらは扇ぐためのものではあったが、それよりも主に、公家、役人、僧侶の間で顔を隠したり、虫を払ったりするための威儀具として発展していく。
その後、形態や材質は時代によって変化していき、16世紀末頃に竹と和紙を使った現在の団扇の原型となる、涼をとるために風をあおぐ日本の団扇が誕生する。
17世紀に入ると団扇は庶民の間で急速に普及し、暑さを凌ぐ道具としてだけでなく、料理をする時の火起こしやおしゃれなど、日常的に広く利用されるようになった。また、俳諧、和歌、漢詩といった文芸や浮世絵が扇部にあしらわれるようになり、団扇は見て楽しむための道具としても親しまれるようになったのである。同時にその頃から、団扇の大量生産が可能になり、全国各地に団扇の生産地が形成されていった。
19世紀に入り明治時代が始まると、団扇は広告媒体としての機能も持つようになり、店や商品の名前、映画の俳優などが印刷された団扇が多く出回るようになる。アメリカでは浮世絵などの美術的価値に重きを置いた団扇が大人気となり、多く輸出されていた。
そして20世紀半ばになると、竹不足の解消や生産性の観点からプラスチックを使用した団扇が主流となるが、扇風機やクーラーなどの普及に伴い、需要は下がっていくことになる。しかし、昔ながらの竹と和紙を使った団扇は、風流な日本の夏を連想させるのに欠かせないものであり、今でも夏のお祭りや花火大会では親しまれ続けている。
日本三大うちわ
日本で伝統的な団扇の生産地として有名なのが、千葉で生産される「房州うちわ」、京都で生産される「京うちわ」、香川で生産される「丸亀うちわ」の3つである。これをまとめて「日本三大うちわ」と呼ぶ。
1. 千葉「房州うちわ」
特徴:竹の丸みをそのままを活かした「丸柄」
関東地方で団扇作りが始まったのは、18世紀の終わり頃。その当時房州と呼ばれていた、現在の千葉県房総半島南部は「江戸うちわ」の原材料である「女竹(めだけ)」の生産地として、団扇の骨部分のみの生産を請け負っていた。その後、房州の団扇の骨部分の生産は急速に発展していき一大物産となり、20世紀に入ると団扇の完成品も手掛けるようになった。
そんな房州の団扇生産がより拡大することになったのが、1923年に起こった関東大震災である。この震災によって、江戸うちわ街が大火に見舞われ、ほどなくして竹の生産地であり団扇作りで実績のあった房州に多くの問屋が移住してくることになる。こうして「江戸うちわ」は「房州うちわ」となり、日本三大うちわのひとつとして、その技術と製法は現代に受け継がれることになったのである。
「房州うちわ」で使用される「女竹(めだけ)」は、節と節の間隔が長く柔軟性に優れているため、団扇作りにとても適している竹だ。「房州うちわ」の特徴は、竹の丸みそのままを活かした「丸柄」と、48~64等分に割いた骨を糸で編んで作られる半円で格子模様の美しい「窓」。その制作工程は全部で21もあり、延々と続くこの細かい作業工程を、一人でこなせる「房州うちわ」職人は現在たった1人しか残っていない。後継者の育成が今後の課題となっていく「房州うちわ」、この美しい造形美を後世に残していくためにも、この大きな課題を乗り越えてもらいたい。
<「房州うちわ」取扱い店>
うやま工房: 地図
うちわの太田屋: 地図
2. 京都「京うちわ」
特徴:別々に作られた扇部と柄
京都で誕生した「京うちわ」は、14世紀半ばから後期にかけての時代に渡来した朝鮮団扇が起源とされている。その後、京都の貴族の間で使われるようになり、その歴史は現在に続いている。
「京うちわ」は「都うちわ」「御所うちわ」とも呼ばれ、扇部と柄が別々に作られているのが特徴だ。放射線状に並べた細い骨の上に和紙を貼り、柄が後から取り付けられる「挿柄」の構造が取り入れられている。表裏に貼られた和紙の中にある竹骨は50本から100本程の数があり、竹骨の数が多い程高級とされ、竹骨が100本使われたものは「百立て」と呼ばれ、飾りものとして扱われる。柄には竹だけでなく、杉が使用されたもの、漆塗りなどの高級なものまである。
「京うちわ」の制作は、全16工程で完成する。他の団扇では見られない、豪華で優美な図柄や装飾を楽しみながら、普段使いや部屋の装飾にすることができる、京都ならではの団扇だ。
<「京うちわ」取扱店>
小丸屋住井: 地図
3. 香川「丸亀うちわ」
特徴:薄くて平な柄
香川県丸亀市で生産されている「丸亀うちわ」の製作技術は17世紀の初頭には確立していたと言われている。その後、金刀比羅宮参拝の土産物の団扇が考案され「丸亀うちわ」の歴史がはじまる。それに続き、丸亀藩士が江戸でしなやかな竹を使った「女竹丸柄うちわ」の技術を丸亀に持ち帰り、当時財政的に苦しかった丸亀藩がその技術の習得を奨励したことから団扇作りは下級武士や町民に広がっていく。
その後、団扇の生産は時代の混乱期に飲まれ一時生産量を下げつつも、輸出業で生産量を伸ばしていった。
その頃、丸亀市富屋町にある卸問屋が、現在の「丸亀うちわ」の元になる「平柄うちわ」の製造を開始。その技術をいち早く習得した吉田利七は、現在の丸亀市塩屋町の自宅で工場を開いたが、丸柄が主流であった当時、平柄うちわはなかなか受け入れられず「塩屋平柄団扇」と呼ばれていた。しかし、1894年に業界初の法人組織「丸亀団扇株式格子会社」が設立され、団扇が広告や宣伝の役割を担うようになったことや、技術革新の甲斐あって、工場での大量生産が可能になると、大量生産が難しい丸柄から平柄の団扇が主流となっていく。
こうして現在では、日本の団扇生産量の90%が丸亀で生産されており、日本のうちわのほとんどを丸亀うちわが占める形となっている。しかしやはりこちらも、生産されている団扇の主流はプラスチック素材の団扇となっているため、竹から作る団扇職人の後継者不足が懸念されている。370年以上続く「丸亀うちわ」の技術が後世にも残るよう、今後の活動に注目したい。